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![]() 馬場はる。泊(富山県朝日町)の生まれで、馬場家の第三代当主、道久に嫁いだ。ところが、夫は急死。34歳にして未亡人となった。 その後は、子供たちを育てながら回船問屋の事業を女手ひとつで拡大する。そんなはるが、大正12年に100万円を県に寄付、7年制の高等学校設立を願い出た。 当時、富山県の高等教育機関は薬業専門学校のみ。薬専以外の進路を希望する学生は、他県の学校に進まなくてはならなかった。当然、経済的な理由で進学を断念する人もいた。そんな現状を憂えたのである。 ![]() 県は設立へ向けて計画を立てるが、資金が足りない。そこで34万円の追加の寄付をはるに願い出たところ、二つ返事で応じたという。 こうして、富山市蓮町に5万7千平方メートルの敷地を確保、開校のめどがついた。大正13年、東岩瀬町の仮校舎で授業を始めた際、はるは開校を祝ってヘルン文庫も寄付する。 ヘルン文庫とは、ラフカディオ・ハーンの蔵書で洋書2071冊、和書376冊を指す。ハーンの遺族が蔵書をどこかに寄付する意向であることを知った初代校長、南日恒太郎が「富山を文化の拠点にしよう」と、はるに出資を依頼したのである。 翌大正14年春。蓮町に引っ越しをし、昭和3年にはすべての設備が整う。名実ともに立派な富山高等学校(現富山大学)となった。その間、はるはさらに追加の寄付も行ったそうだ。 己の利益しか考えない現代の風潮からすると、信じられないほどの篤志家である。しかし、こうした人物がいたからこそ、富山県が教育熱心な県として全国に知られることになったのかもしれない。 昭和37年、富山大学は市内五福に統合移転。跡地は富山市の管理となり、公園として整備されている。 ポートラム蓮町電停のすぐ向かいの公園に入ると、青々とした芝生が美しい。住宅街のど真ん中に、こんなに広々として美しいところがあったのかと感動させられる。まさに、北部地域の宝物と言っていい。馬場はるの名前を取って「馬場公園」と名づけられている。中には、南日恒太郎の名前を冠した梅林もある。ここから富山県の高等教育が始まったという思いで、ぼんやりたたずむと、児童館から子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。一瞬、かつて向学心に燃えた学生たちの歓声のこだまのようにも聞こえた。 ![]() 明治44年創業の「松月」。当時は北前船が盛んで、北海道から多くのお客さんが岩瀬を訪れた。しかし、受け入れ側の回船問屋が困ったのは、きちんと接待できるところが少ないことだった。そこで、旦那衆が出資し、葉山の御用邸で修行した弟から、初代・黒田甚太郎が料理を習って松月を始めたそうだ。つまり、今で言うゲストハウスである。 中へ入ると、漆塗りの柱などで重量感がさらに際立つ。一階にも部屋はあるが、玄関からすぐに二階の座敷に上がる階段が目に入る。3-4人が並んで上がれるほど幅の広い階段で、なにやら時代劇で見るような造りだ。 それもそのはず、明治の創業時の建物を平成7年に改築したが、「歴史を壊すのは嫌だ」と、3代目の黒田茂さんが建物をそっくり使った。ジャッキで建物全体を持ち上げ、柱600本のうち弱ってきていた100本を交換。そのほか内装などをやり変えたのである。白と黒を基調として現代的な内装にはなっているが、90年前の雰囲気は確かに保たれている。座敷から見える庭もいたって美しい。 長い歴史の間には、著名人の来訪も多い。早稲田大学の創始者・大隈重信や不出世の名横綱・双葉山なども泊まったそうだ。今は料理に専念して料亭として営業されているが、元から料理旅館の登録である。双葉山は雨が降っていたので何泊もしていったという。 かつての、旦那衆向けの豪勢な料理を提供した時代を引き継いで、今は富山湾の宝石と呼ばれる「シロエビ」を料理のメーンにしている。シロエビが大量に水揚げされる地域は世界的に見ても、ほとんどない。岩瀬で上がったものを、刺し身では一人前70匹を使うという贅沢さだ。つみれにしたすまし汁、御幣もちのようにした福団子など、工夫を凝らしたシロエビ尽くしは、ここでしか味わえない。 「珍しくて、おいしいものに恵まれたこの土地の利点を生かすという主人のこだわりなんです」と女将の笑子さん。確かにオンリーワンの味わいを口にすれば、ちょっとした旦那衆気分にもなれるかもしれない。 小部屋から大広間まで9部屋あり、全部で200人ぐらいは受け入れることが出来る。しかし、どんなに予約が混んでも、詰め込むことはしないのが粋である。これまた成り立ちや歴史がそうさせるのだろう。 ![]() 岩瀬運河が流れ込む富山港。大きな倉庫の先に、灯篭のようなユニークな建物が目に入る。人によっては、お酒を燗する銚子のようにも見えるかもしれない。
これが富山港展望台だ。海とのふれあいをテーマに昭和60年11月に建てられた。てっぺんの笠のように出っ張った部分から四方を眺めることができる。こんな形になったのは、港の守護神である金刀比羅社(琴平神社)の境内にある常夜燈(昔の灯台)をモデルにしたからという。近くに寄ると、意外に高い。24.5メートルあり、ビルに直すと7-8階建てに相当する。しかし、内部はエレベーターなどないから階段を歩いて上ることになる。ぐるぐると螺旋階段のような構造で次第に狭くなる。約100段。足の不自由な人が行けないのは残念だが、健常者はぜひとも上ってほしい。管理人はおらず入館無料だが、訪ねてみる価値は十分あるだろう。 息を切らして上に行くと、視界がパッと開けて360度が見渡せる。ぶらりと立ち寄った観光客に交じって、ロシア船員なのか長身の外国人が景色を堪能している。ここが国際港であることを実感させられる場面だ。 眼下には荷役作業を行っている外国船が何隻も。ロシア船が多いが、中国や韓国の船もいる。ロシア船が木材を下ろし、代わりに中古車をワイヤーで吊り上げて積み込む様子は見ていて面白い。 反対側は、3000メートル級の立山連峰が一望できる。群馬ナンバーの車で来た若い男女5人連れが「オーッ」と歓声を上げている。間近に見える北アルプスに感動したのだろう。確かに海と同時にこれだけ高い山々を見られる地域は世界でもなかなかない。まさに絶景である。 うれしいのは、クリーム色に塗られたニコンの12センチ双眼鏡が設置してあり、無料で使えることだ。北東の角に一台しかないが、観光地によくある双眼鏡よりはるかに精度の高いもので、監視用などで船舶に使われたりしている。高精度ゆえにセミプロの天体マニアも使っている。 12センチというのは、レンズの直径が12センチあるということ。それだけ光を集める力が強い。倍率は20倍。暗い天体を眺めるのに適しているだけに昼間の風景は鮮明だ。 これを立山連峰に向けると、頂上付近で雪煙が上がっているのでさえ、くっきりと分かる。もちろん、遠くの船も手に取るように見える。 ただし、接眼部の右目と左目はそれぞれ別に調整する形式だから、ずれていることが多い。まず、双眼鏡の接眼部を両手で持って目幅を自分に合わせたあと、片方の目でピントを合わせ、ついでもう片方のピントを合わす。これで快適に見えるだろう。(ポートラムの東岩瀬から歩いて約10分) 表は質素、中は豪壮(回船問屋・森家)岩瀬の町は小路が多い。人家が密集して入り組んだ町並みは、幕末から明治にかけ北前船の寄港地として、多くの富を生み出した歴史を感じさせるのに十分だ。 大町通りに、かつて回船問屋だった古い屋敷がいくつもある。その中のひとつが明治11年に建てられた森家である。カラー舗装された道路から見ると、北陸街道によくある古い町屋にしか見えない。だが、中に入ると細かな細工をはじめ、贅(ぜい)のかぎりを尽くしており、ギャップに驚かされる。 まずは、広々とした三列四段という豪壮な間取り。一階は間口に沿って部屋が三列に並び、それが奥に向かってそれぞれ四つある。入り口の「オイ」は商談の場で囲炉裏が切ってあり、ロシア産の琥珀が敷き詰めてあった。天井のない吹き抜けの屋根には天窓があり、日差しが部屋の中に柔らかに降り注いでいる。 建築部材は、長年にわたって建物を支えきた梁(はり)が能登の黒松、トイレの扉は見事な木目を誇る屋久杉、庭石は佐渡や伊予などから運ばれたという具合だ。 中でも目を引くのは、奥の土蔵に通じる土間の敷石である。長さ8.1メートル、幅1.8メートルの一枚岩だ。いや、表面しか目には見えないが、この厚みがなんと50センチ以上もあるという。小豆島からいかだの下にぶら下げて運んだそうだ。浮力を少しでも利用した方法である。 越中の北前船は、下関から瀬戸内海を通って大阪へ米を運び、北海道からは鰊肥(ニシンの田んぼの肥料とした)を積んで戻ってくるのが主な仕事だった。それを中心にして、全国の港を経由して物資を輸送する一大産業だった。 大阪から見ると北から来るので「北前船」と呼ばれているが、地元では「バイ船」と言っていた。「売買のバイ」なのか「倍々に儲かるから」なのかは知らないが巨利を得ていたことだけは間違いない。行って帰ってくるたびに儲かるから「のこぎり商売」とも言われた。 森家もそうした回船問屋のひとつで、国の重要文化財に指定されている。一時期、倉敷レーヨン(現クラレ)の手に渡ったが、現在は富山市の所有だ。おかげで、歌会やサークル活動など文化的な会合を希望する人に一日3150円の使用料で開放されていると言う。 表の質素さからは想像できない豊かさは、富山の人と相通じるものがある。 ポートラムの岩瀬浜か東岩瀬で降りると町中を散策しながら行ける。入館料110円。
富山ライトレールは4月29日開業。
富山駅北-奥田中学校前-岩瀬浜間7.6kmの運行を開始。 富山駅北-奥田中学校前間1.1kmは軌道、 奥田中学校前-岩瀬浜間6.5kmは普通鉄道。 「TOYAMAクリエィティブ・ライン」と称し、 公募愛称車両の超低床LRT「ポートラム」(港のポートと、 電車のトラムの造語)が直通運行する。 停留所は、富山駅北、インテック本社前、奥田中学校前、下奥井、 栗島(大阪屋ショップ前)、越中中島、城川原、犬島新町、 蓮町、大広田、東岩瀬、競輪場前、岩瀬浜(太字は新設)。 5~23時まで運行。ラッシュ時10分間隔、データイム15分、 深夜30分ヘッド、所要23~24分である。 ![]()
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ポートラム蓮町電停のすぐ向かいの公園に入ると、青々とした芝生が美しい。住宅街のど真ん中に、こんなに広々として美しいところがあったのかと感動させられる。まさに、北部地域の宝物と言っていい。馬場はるの名前を取って「馬場公園」と名づけられている。
それもそのはず、明治の創業時の建物を平成7年に改築したが、「歴史を壊すのは嫌だ」と、3代目の黒田茂さんが建物をそっくり使った。ジャッキで建物全体を持ち上げ、柱600本のうち弱ってきていた100本を交換。そのほか内装などをやり変えたのである。
これが富山港展望台だ。海とのふれあいをテーマに昭和60年11月に建てられた。てっぺんの笠のように出っ張った部分から四方を眺めることができる。こんな形になったのは、港の守護神である金刀比羅社(琴平神社)の境内にある常夜燈(昔の灯台)をモデルにしたからという。
ただし、接眼部の右目と左目はそれぞれ別に調整する形式だから、ずれていることが多い。まず、双眼鏡の接眼部を両手で持って目幅を自分に合わせたあと、片方の目でピントを合わせ、ついでもう片方のピントを合わす。これで快適に見えるだろう。(ポートラムの東岩瀬から歩いて約10分)
表は質素、中は豪壮(回船問屋・森家)
